表記している法律、種別等については当時のままで表現しています。
年 月 |
名称及び定員 |
施 設 |
法 人 |
1941.10 (S16) |
遺族職業補導所 (定員不明) |
恩賜財団軍人援護会熊本県支部により遺族の援護施設として熊本市渡鹿に有子末亡人の自立更生を目的に、遺族職業補導所(定員不明)を設立。 |
恩賜財団軍人援護会熊本県支部により遺族の援護施設として熊本市渡鹿に有子末亡人の自立更生を目的に、遺族母子寮(定員10世帯)・遺児保育園(定員16名)・遺族職業補導所(定員不明)を設立。 |
1946. 4 (S21) |
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恩賜財団軍人援護会、恩賜財団戦災援護会の対等合併により、「恩賜財団同胞援護会」が設立され事業を継承、同熊本県支部の経営となる。 |
恩賜財団軍人援護会、恩賜財団戦災援護会の対等合併により、「恩賜財団同胞援護会」が設立され事業を継承、同熊本県支部の経営となる。 |
1942. 5 (S22) |
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熊本市寺原町231番地(現在地)に、職業補導所(保育所合築)を新築。 |
熊本市寺原町231番地(現在地)に戦災で未完成であった母子寮を移築し、職業補導所(保育所合築)を新築。 |
1948. 6 (S23) |
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財団法人恩師財団同胞援護会熊本県支部の経営となる。 |
恩師財団同胞援護会熊本県支部へ財団法人化。 |
1950. 7 (S25) |
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熊本県計画の更生施設が完成。銀杏寮(仮称)経営を委託。(定員70名) |
1951. 4 (S26) |
友愛会授産場 (定員不明) |
財団法人友愛会の経営となる。 |
恩賜財団熊本県同胞援護会を社会福祉法人熊本県社会福祉協議会設立により事務部門と事業部門を二分化。財団法人友愛会を設立して、施設福祉事業を引継経営。 |
1951. 6 (S26) |
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授産施設の整備に伴い、保護授産場を廃止し共同作業場として発足。 |
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1952. 5 (S27) |
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社会福祉法人同胞友愛会の経営となる。 |
社会福祉事業法の設置に伴い財団法人から社会福祉法人へ組織変更。社会福祉法人同胞友愛会となる。 |
1953.12 (S28) |
定員30名 |
社会福祉法に基づき生活保護授産施設友愛会授産場の認可。 |
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1955. 4 (S30) |
同胞友愛会洋裁授産場 |
生活保護法第41条の規定により、同胞友愛会洋裁授産場の設置認可。 |
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1964. 5 (S39) |
友愛授産場 (定員50名) |
生活保護法第41条の規定により、洋裁と編み物の併設及び定員変更認可。 |
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1974. 3 (S49) |
定員40名 |
作業員確保が困難となり、生活保護法第41条の規定により、定員変更認可。 |
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1975. 8 (S50) |
定員30名 |
作業員確保が困難となり、生活保護法第41条の規定により、定員変更認可。 |
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1988. 3 (S63) |
洋裁定員15名 軽作業定員15名 |
生活保護法第41条の規定により、編み物部を廃止。軽作業部設置認可。 |
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1991.10 (H 3) |
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創立50周年 |
1992. 4 (H 4) |
定員20名 |
生活保護授産施設を廃止し、精神薄弱者通所授産施設として発足。 |
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1993. 8 (H 5) |
分場「ワーク友愛」 定員 本園20名 分場 5名 |
平成2年10月12日付け児発824号厚生省児童家庭局長通知の規定により、精神薄弱者通所授産施設分場の設置認可 |
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1994. 1 (H 6) |
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日本小型自動車振興会の助成により、建物1棟新築。 |
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1997. 2 (H 9) |
定員 本園30名 分場 5名 |
精神薄弱者福祉法第21条の規定により、設備及び定員変更認可。 |
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1997. 2 (H 9) |
分場「ワーク・グリーン」 定員 本園30名 分場15名 |
平成2年10月12日付け児発824号厚生省児童家庭局長通知の規定により、精神薄弱者通所授産施設分場の設置認可 |
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1997. 3 (H 9) |
定員 本園30名 分場10名 |
社会福祉事業法第57号の規定により、精神薄弱者通所授産施設分場の廃止認可。(ワーク友愛) |
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1998. 4 (H10) |
友愛育成園 |
定款変更に伴い、施設名称を変更認可。 |
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1999. 4 (H11) |
定員30名 |
社会福祉事業法第57号の規定により、精神薄弱者通所授産施設分場の廃止認可。(ワーク・グリーン) |
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2000. 3 (H12) |
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社会福祉法の施行に伴い、精神薄弱者通所授産施設から知的障害者通所授産施設へ変更。 |
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2001.10 (H13) |
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創立60周年 |